2015年5月24日(日)。大切な人の海洋自然葬(散骨)を実施する。実は、書くことを少し躊躇うが、和歌山県和歌山市朝日で生まれて、生涯和歌山から出ることもなかった87年の人生を送った、私の母の海洋自然葬(散骨)であった。

実施日当日は雨になるとの予報が出ていたが、幸運にも曇りの状態となる中、JR平塚駅から車で約10分のところにある、平塚新港フィッシャリーナからクルーザーで出航した。

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出航から30分。沖合に江の島が見える海域に差し掛かるころには、晴れ間も出てきた。予定していた実施ポイントに到着するあたりで、この季節としては非常に稀なことらしいが、『母の大好きな富士山』がはっきりと見えだした。

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穏やかな相模湾だとはいえ、やはり波がある。ゆっくりとクルーザーを操船して貰いながら、母の粉末化した遺骨を海に還した。

同行してくれた妻にも、一袋と花びらを一緒に手渡して海に還してもらう。

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4歳頃の自分と手を繋ぎ、1歳の弟を背中におんぶした27歳の母が写り込んだ60年前の白黒写真。その傍らに、粉末化された母の水溶紙入りの3袋の遺骨を沢山の花弁で包んだ花籠を置く。

正直に告白すると、お客様の海洋自然葬(散骨)を実施するときにはあまり感じない心の葛藤が長く続いていた。弟や叔父(母の弟)には、『散骨で行く!』と意思は伝えていたものの、いざ本当に実施することになると、『これでいいのだろうか!』との複雑な思いが駆け巡っていた。

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チャーターしたクルーザーには3名のスタッフが乗船していただき、心の籠った細かな配慮もあり無事に全てが終了する。

母が87年の生涯を閉じたのは、2013年12月20日。この間、一年半が経過している。2015年5月24日に富士山が一望できる江の島沖での海域で海洋自然葬(散骨)の確定をすると同時に、和歌山の叔父さんや弟に連絡を入れる。

叔父さんは、『参加出来ないけど、よろしく頼む!』とのメッセージと花代として郵送されてきたお金を有難く受けることにする。

海洋自然葬(散骨)の終了後に、通常のお客様と同じように『海洋自然葬実施証明書』を作成し、そのコピーと記念写真を和歌山の叔父さんに送り届ける。そして、事務所となっている書斎には、母と弟が一緒に写り込んでいる白黒写真を置き、季節の花で飾りつけをする。

これからも、花と水を絶やさずに飾るつもり。

どんなことでも同じだと思うが、やはり自分のことになれば大事であると実感をする。

 

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