余りの蒸し暑さに真夜中2時頃に目覚めて、外に出てみると蝉が必死に鳴いている。長い土中の時間を経て、地上に出てからの持ち時間は非常に短い。人生(蝉だから人生とは言わないが…)の短さを惜しむように、あるいは慈しむように鳴いていると感じられる。自分の生き様を重ね合わせて、思わず蝉の直向きさ(ひたむきさ)に感情移入をしてしまう。

OLYMPUS DIGITAL CAMERA

2015年、盛夏の蝉

ご遺骨でメモリアルプレートであるエバーメモリアル制作の本格的スタートをしてから、10年が経過。エバーメモリアルの発想を得てから、かれこれ20年を迎えていることになる。『想えば叶う』と言われるが正にその通りだと思う。思い起こせば、結婚20周年目の節目で夫婦でハワイ旅行に出かけたのが、1995年の11月。快晴に恵まれて、有名なダイヤモンドヘッドから眺める、ハワイ独特のマリンブルーの海や風景は最高で、頬を撫でる微風も気持ちが良かった。『そうだ、こんな綺麗な海にパ~と撒けばいいんだ!』とどちらからともなく呟いた。それが、『自分の人生は散骨で・・・』という考えが固まった瞬間だった。

CIMG1860

楽しかったハワイ旅行から戻り、旅行の思い出話として『自分の人生は散骨で…』という決心をひとり娘に伝えると、『全部海に散骨をしてしまうと、何方を向いて思い出したらいいのかわからない・・・』との素朴な疑問をぶつけられた。そこで思わず、『それなら、遺骨で何か作ったら・・・』という遣り取りが、エバーメモリアルを制作するに至った原点になっている。

ただし、その当時はあくまで個人的にそうしたいと思った程度であった。心の奥底では常に諸々の葛藤を繰り返しながら、50歳を過ぎたころから『人生は一度きり!今やりたいことをやらないで、いつやるんだ!』という思いが強くなる。そして、漸く自分の生き様として辿り着いた言葉が、『限りあるときを輝いて』であった。それでは、具体的には何をやるんだという段階になって、ここに『散骨が良い・・』『遺骨で何か作ろう』という人間がいるんだから、他にも同じように思う人がいるにちがいない。そんな人たちのお手伝いやアドバイスがやれるのではないか。そこで、超プラス思考の私は、悶々と悩む思考の連鎖を断ち切るように会社を突然退社する決心をしました。

でも、それからオリジン研究所の前身のライフケア研究所を設立し、エバーメモリアルの完成に辿り着くまでには何回もの苦難が伴いました。その詳細は次回にアップしたいと思います。

限りあるときを輝いて! オリジン研究所